代表的なパターン

今世紀に入ってにわかに注目されるようになったフランスでの精神分析認知行動療法の対決は、アメリカでの古い抗争が四○年のタイムラグを経てようやくラカンの国に辿り着いたことを意味するにすぎないと評する人々もいる。ちなみに、アメリカの行動療法にかぎらず、行動療法的なものが精神分析を槍玉に挙げる例は他にもある。精神分析家がまだひとりも生まれていなかった一九二○年代の日本でそれを行ったのは、森田療法の開祖・森田正馬である。認知行動療法のもうひとつの系譜は、ペンシルヴェニア大学病院の精神科医で精神分析家でもあったアーロン・ベックが一九七○年代にはじめた認知療法だ。諺病の精神分析治療に行き詰まりを感じていたベックは、患者が示す認知の歪み、すなわち思考回路の悪循環に注目した。ベックによれば、諺病は自己についての認知、環境についての認知、および未来についての認知という三つの思考領域に生じる歪みに起因する。たとえば、自分はダメだと考える、世界や他人に期待してもムダだと感じる、将来に望みはないと思い込む、というのが、これらの認知の歪みの代表的なパターンだ。

 

 

私の肩を持つ

「話して下さい。仕事から帰って、台所が汚いと、どうするのですか、どんなことを言うのですか。何か月も台所は同じだと思いますが」「ドアを聞ける前から、緊張し始めます」「頭痛も始まりますか」家に入って、娘がソファに横になりメロドラマを見ているのを見ると怒りがこみあげてきます。彼女は全部録画しているのです。録画はできるのに、私の手伝いはしません。自分の娘なのに憎くなってきました」家に帰ったときの怒りは、頭痛を止めている。頭痛は少し後で、怒りに効果がないことが分かったときにやって来る。そして、頭痛は、怒りが増大して憤りや暴力に発展しないようにさせている。頭痛はまた、彼女が落ち込むのを防いでいる。落ち込めば、彼女にとって人生の最良のものである、仕事に悪影響を与えることになる。「以前、彼女がもっと小さかった頃は、彼女とはうまくやっていましたか」「ええ。とてもうまく。ただ、彼女の父親が家を出ていったときは少し問題になりました。彼女は十二歳でした。彼は彼女をしつけることがありませんでした。彼は娘が何をしても、問題にしませんでした。彼は私がイライラしているのを見るのを楽しんでいたと思います。でも、彼女の良いところを認めますわ。離婚の手続きをしている問、彼女は私をとてもよく支えてくれました。一度父親がどんな人か分かると、彼女は私の肩を持つようになりました。今でもそうしてくれます」 きちんと考えてみること

良好なものとなる

そしてたとえば治療者は、患者の抵抗を認めつつも、実験として構造化に従ってみるよう患者を励ますことができる。別のやり方としては、初めのうちだけは、患者が解決の場の流れを支配しコントロールするのを許容する、ということも考えられる。しかしながらほとんどの場合、治療者は患者と話し合って両者にとって満足できる妥協点を取り決め、その後標準的な構造に向けて患者を誘導していけるようになるものである。解決の場を構造化できないという問題の原因が、治療者側のソーシャライゼーションにおけるスキル不足なのか、患者側の抵抗なのか、治療者はどのようにして判断すればよいのだろうか?この場合、まず治療者は、患者に対し、認知療法のモデルについてのさらなるソーシャライゼーションを試みる。そして患者の言語的および非言語的な反応を観察する。もしそれが単なる治療者側の問題であれば、患者の反応はかなり緩和され(あるいは、いささか自己批判的になるかもしれない)、その後の構造化へのコンプライアンスは良好なものとなるだろう。